リシタン陶器

リシタン陶器の鮮やかな魅力的な色彩とは?

ウズベキスタンの「リシタン陶器」と言えば鮮やかな青色が特徴です。リシタンは、ウズベキスタンだけでなく、中央アジア全体で最も有名な古代の陶器の中心地です。

ブルーモスクを彷彿とさせる青色が特徴的で海外の観光客にも人気です。唐辛子、ザクロ、水差し、魚などをモチーフにした模様が主流ですが、職人さんのスタイルによって一枚一枚の模様やモチーフが違うのも特徴です。

「Rishtan Ceramic=Uzbekistan Ceramic」として、海外でも人気を集めているウズベキスタンの伝統工芸品の一つとなりました。株式会社ニッポンドはナジロフ・バフチヨルの作品をはじめ他の作家さんのリシタン陶器の輸入や販売も行っています。ここで、ナジロフ・バフチヨルとナジロフ・バフチヨルの窯元について紹介します。

 

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リシタン陶器の魅力を伝える人達!

リシタンでは昔から陶芸の技術や秘密を父から息子に伝えるという文化があります。リシタンの有名な陶芸家であるナジロフ・バフチヨルもその文化を守り、陶芸家として約40年間の経験で蓄積してきた技術と秘密を未来に伝えるために息子のナジロフ ・ディヨルにその文化を受け継いでいます。

ナジロフ・バフチヨルは幼い頃からウズベキスタンを代表する有名な陶芸家である兄のナジロフ・アリシェル先生、エガムベルディ先生、 キムサンボーイ先生の弟子として陶芸のことを習い始め、今に至るまで陶芸家として長い道を歩んできました。

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ナジロフ・バフチヨルの紹介

1961年:ウズベキスタン、リシタン市生まれ
1982年:リシタン陶芸工場に就職。窯焼きから絵付けまで一貫した製造工程に携わる。
1997年:同僚と共同で陶芸工房を設立。
2003年:起業家と職人の大統領コンペティション「タシャブス2003」入賞。
2010年:起業家と職人の大統領コンペティション「タシャブス2010」入賞。
2012年:独立。自宅で独自の陶芸事業を創業。同年、海外の展示会にも参加開始。
2012年:ウズベキスタン芸術アカデミーのカモリディン・ベクゾッド記念館で初の個人展を開催。
2021年:リシタン市で国際陶芸センターが開館。工房を同センターに移設。
2021年:栃木県益子町の<ギャラリーつかもと>で「リシタンのブルー陶器」をテーマに日本初の個人展を開催。
2022年:栃木県益子町の<ギャラリーつかもと>で「リシタンのブルー陶器」をテーマに日本第2回の個人展を開催(後援者:在京ウズベキスタン大使館、World Crafts Association, (株)ニッポンド)。

リシタンセンター

 

ナジロフ・バフチヨルは現在に至り、ドイツ、ロシア、トルコ、カザフスタン、日本などで開催された数多くの展示会に参加しその名前と作品は国内外でよく知られています。

ナジロフ・バフチヨルの作品の特徴は、真のリシタンスタイルを保ち、さまざまな形、天然釉のイシュコール(Ishqor)の古代技術の応用、筆塗りの伝統にあります。

真のリシタン・スタイルは、滑らかな線で大きくて認識可能なパターンを描き出すものですが、そのモチーフが繰り返されることはありません。

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施設紹介

2021年、リシタン市に国際陶芸センターがオープンしました。同年、ナジロフ・バフチヨル氏の工房も同センターに移設しました。
新工房では絵付けから窯焼きまで一貫した製造プロセスが行われています。自社工房で作った作品が並んでいる販売店から陶芸体験のできる陶芸教室等があり、ショッピングからレジャーまで幅広く楽しめます。

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場所

197 Fergana street, Rishtan city, Fergana region, Uzbekistan
+998(93)640-5869
n.b.keramist@gmail.com
https://www.facebook.com/n.b.keramis

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リシタン陶器の歴史

リシタンの陶芸について,歴史と現代の様子を述べた専門書を参考に、以下で紹介します。
ウズベキスタンはユーラシア大陸の中央部に位置する。その領土は東西南北を結ぶ交易の結節点として,古くから多くの人や文物が移動し,ペルシアや中国など周辺の文明地の影響を受けて刺繍,漆塗り,絹織物,絨毯,木工,銅細工など数々の工芸が発達してきた。

なかでも,ウズベキスタン東部のフェルガナ盆地は,周囲の山々より流れ込む水系に恵まれた地で,肥沃な農業地帯として人口が集住しており,19–20 世紀には各町村に特有の手工芸が発達していることが知られていた。

その中で今も続くのは,マルギランの絹織物,コーカンドの木工細工,そしてリシトンの陶業などである。陶業は他にもグルムサライ,アンディジャンなどで若干見られるが,19 世紀においても現在でも,リシトンがウズベキスタンで最も多くの陶工数と生産量で知られる。

 

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リシトンは行政区分上ではフェルガナ州(viloyat)リシトン郡(tuman)の中心の市(shahar)である。人口は2001年で約 3 万人,民族構成は郡全体ではウズベク人が 11 万 2300人(約 78%),次いでタジク人が 2 万 3200 人(約 16%)である。

リシトン市内ではタジク人住民が 8 割を占めるといわれる。このタジク人は,慣習においてウズベク人とほとんど差はなく,通婚も日常的に行なわれている。ただ,母語がチュルク語系のウズベク語とは違って,基本的にペルシア語系のタジク語なのである。

しかし,リシトン市内の住民は,ウズベク人でもタジク語を日常会話程度ならば問題なく話せることが多く,タジク人の間でもウズベキスタンの独立以後はマスメディアや教育でウズベク語が主流になっているため,ウズベク語使用が広がっている。この他,ソ連時代からロシア語で教育を受けてきた人々もいる。

 

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つまり,一人で2 つか 3 つの言語を操ることが日常的に見られる地域である。宗教は,タジク人,ウズベク人,クルグズ人,タタール人はムスリム(イスラーム教徒)である。しかしクルグズ人とタタール人は少数で,他にロシア人と高麗人も少数派の住民である。気候はステップ性であり,冬は摂氏でマイナス 5 度から 10 度に下がるが,夏は 40 度を越える。

雨は少なく,春にやや多く降る。郡全体の主要な産業は農業で,綿花と穀物,野菜,果物などを作っているが,リシトン市内は陶業が盛んである。ユーラシア大陸中央部ではおよそ 8 世紀に施釉陶器の生産が始まり,9 世紀には生活の中に広く取り入れられたという。リシトンでは 1980 年代末に行われた市内の廟の再建工事の際に,9 世紀の地元製と見られる陶片が発掘されており,その頃から陶業が行なわれていたといわれる。リシトンで陶芸が発達した理由は,まず原料となる陶土が良質かつ豊富である点に求められる。

出典:菊田悠「ソ連期ウズベキスタンにおける陶業の変遷と近代化の点描」2005年『国立民族学博物館研究報告』30巻 p231-278 の p239, p241